先日 フランスで
ソーシャルワーカーとして
働いている支援者の方から
フランスの子育て事情について
研修をしていただきました。
今日はその学びを
まとめていきます!
施設に子どもを預ける=福祉の失敗
日本では
「子育ては各家庭に任されるもの」
「近所の人や自治体が関わることは恥」
という文化が根付いていますが
フランスでは
子ども=在宅で丸ごと支える
という考え方が根付いています。
そのため
もし虐待があっても
子どもを親から引き離さず
虐待が起こっている原因
(親の精神疾患、貧困等…)
を解決する
という見方で
『問題の原因は家庭内の何なのか?』
に注目をし
家族ごと介入をしていきます。
フランスでは
ソーシャルワーカーが
親の精神疾患や貧困などの
家族の抱えている問題に
直接介入をし、解決ができる
立ち位置になっているそうで
子どもを施設に預けることは
支援の介入が遅かった
福祉の失敗として
認知されるそうです。
…もしかすると
「そこまで福祉に
関わってもらうなんて
家族の恥だわ…」
と感じる方もいるかもしれませんが
今は日本で当たり前になった
介護が必要な人をサポートする
ケアマネージャーも
同じような関わりです
(対象者が
要介護者か子育て世帯かの違いだけ)
ケアマネが導入された
2000年以降にも
「家庭内に
自治体が関わるのは
家族の恥」という意見が
よく聞かれていましたが
今はむしろ
『ケアマネさんがいて
助かってるわ!』という
方々の声が強くなっているのを
考えると
『自治体の介入=恥』
という認識感をまず
私達が捨てる必要があるのでは
と感じます。
不登校=問題ではなく「症状」
例えば日本において
「不登校になった」
「学校の成績が落ちた」
「友達と遊ばなくなった」
という子どもがいた場合
周囲の大人や支援者は
「学校に行かせよう」
「もっと勉強を頑張りなさい」
「一緒に遊ぶように声をかけよう」
という認識をしますが
フランスでは
子どもの問題=症状
として認識をします。
「どういうことなのか?」
と言いますと
もしかして
家族の中で何か
問題が起こっている
その症状として
子どもの様子が
普段と異なるのでは…?
という見方をするのです。
そして
ソーシャルワーカーが
家庭訪問を行ない
子どもへの介入ではなく
親に対して
困っていることや
難しく感じていることがないか
相談にのり
介入していきます。
その親の問題を解決すると
自然と子ども達が
元のように元気になる
ということが往々にしてあるそうです。
不妊治療…大学院…すべて「無料」
研修をしてくださった
支援者の方の言葉に
人の悩みは
制度からくるもの
政治的なもの
という言葉がありました。
実は
日本でもフランスでも
起こっている問題は
同じで
「では何が違うのか?」
と言うと
それは
制度(=政治)
なんだそうです。
…例えば日本の場合
「貧しくて進学ができない…」
「低賃金しか稼げない…」
「必要な教育が受けられない…」
「次の世代も同じく貧しい…」
という貧困による
悪循環がありますが
フランスの場合は
大学院も無料で
行くことができるため
どのような経済状況の中で
育った子だとしても等しく
将来へのチャンスを
つかめる制度が
整っています。
このほかにも
日本では
「晩婚で子どもに恵まれない…」
「不妊治療をしたいけど
保健適応外だから
お金がかかる…」
「治療をしても
授かるとは限らないから
出産を諦めよう…」
という流れになりますが
フランスは
不妊治療も無料で
受けることができるため
少子化対策においても
一人ひとりの人生を
より満足できるもんに
するためにも
必要な制度が
整っているのです。
つまり
「学校にいけない…」
「低賃金から抜け出せない…」
「妊娠を諦めるしかない…」
このような悩みは
制度(=政治)によって
起こっていると考え
フランスは
その悩みを手放すための
様々な制度が整っている
ということになります。
かつてのフランス=日本と同じ
このような話を聞くと
「日本とフランスは
そもそも文化が違うから…」
「フランスはフランスで
日本は同じようには
なれないよ」
という気持ちになる方も
いるかもしれないのですが
実はフランスも
1970年代までは
日本と同じ状況でした。
では
1970年代から
一体何が変わったのか?
それは
社会の悩みや問題を
世の中に
訴えていった
という動きがあったからでした。
その発信によって
今までその悩みや問題に
気づいてこなかった方々が
「おや?」「そうだったんだ」
と気づくようになり
必要な地域支援のリソースが
増えていったのだそうです。
…私も仕事をしながら
今までは知ることがなかった
様々な社会背景の方々と
日々関わっています。
その方々が
社会の中で
「存在しない人」として
扱われてしまっている現状が
とてももどかしく
悔しさを感じます。
しかし
その方々のことを
『知った』のであれば
その方々の悩みや
抱えている問題を
世の中に訴えていくことが
今の私にできることなのかもしれない
と
今回の研修を受けてみて感じました。
全ての人々を愛している
神様の愛をわかって
そのために自分にできることを
して生きたいです。