キリスト教福音宣教会(CGM)・摂理って何?

Q1. どんな宗教なの?

聖書の教えを
土台にしている宗教です。

創始者は
韓国の鄭明析(チョンミョンソク)氏で
彼が
「イエス様を誰よりも
 愛する人になりたい」
と思って始めた信仰が
原点になっています。

正式名称は、キリスト教福音宣教会
(Christian Gospel Mission:CGM)で
世間では「摂理」と呼ばれています。

Q2. どんな教えがあるの?

「命を愛しなさい」
「言葉よりも実践だ」
「人生は作り方次第だ」

様々な教えがありますが
これらの教えが、私は個人的に好きで
信仰の土台となっている教えだと
感じています。

Q3. どんな人たちが通っているの?

幼い子どもからご高齢の方まで
様々な年代の方がいますが、
個人的には20〜40代の
若い層が多い印象です。

男性も女性も
結婚している方も独身の方も
様々な人たちがいます。

Q4. お祈りとかする?

「お祈りとか正直引くわ〜…」
と昔は思っていた私でしたが…笑

『祈り』と聞くと
なんだか難しそうで
イメージが湧きませんが
「神様とおしゃべりすること」
というのが
私のお祈りのイメージです。

仲の良い友達と
「今日どこでランチする〜?」
「この服、私に似合ってない!?」
「最近こんなことがあってさ〜…」

とLINEしたり電話したり
一緒にお出かけしたりするように

神様とも
「今日どこで
 ランチしましょうかね〜?
 最近野菜少ないから

 定食屋さんにします〜?」
「この服、私に似合ってません!?
 神様が私のために

 デザインしたんですか!?笑」
「最近こんなことがあって

 落ち込んでます…
 神様はこんな私を

 どう思ってますか…?」
とやりとりすること=祈りだと
私は思って、お祈りをしています。

Q5. 信者の1日ってどんな感じ?

信者でない人と
さほど変わりません

起きたら
「神様今日も共にしてください〜」
少しお祈りして
(寝坊して祈り忘れること多々あり笑)

朝ご飯食べて、仕事に行って
仕事で困ったら
「神様どうしましょ〜!」
心の中でお祈りしたり
良いことがあったら
「神様感謝します〜!」
心の中で感謝したり

仕事が終わったら、
夕飯の買い物して
お風呂入って、夜ご飯食べて

LINEの返信して、Twitter覗いて
漫画読んだり、動画見たり
友達とご飯行ったりおしゃべりしたり
やりたいことやって

「神様今日も
 ありがとうございました〜」
お祈りして寝ます。
(即寝落ちで祈らないこと多々あり笑)

大きくは何も変わりません

Q6. 日曜日に礼拝とかある?

日曜の午前中にあります。
仕事がある日は
帰ってから録画映像を見てます。

「毎週日曜の午前に
 礼拝行かないといけないとか
 束縛されてる感あってキツそう~…」

と昔は思っていた私ですが

「毎日夜にお風呂入らないといけないとか
 毎日歯磨きしないといけないとか
 束縛されてる感あってキツそう〜」

とは思わないように

日曜日の礼拝がある方が
心身ともにスッキリできるので
むしろ私にとっては
良い時間になってます。

Q7. 信者になって 良かったことは?

「生きるのって大変だけど
 良いことも割とあるんだな」

 思えるようになったこと

■朝日や夕陽などの自然を見て
「綺麗だなぁ…」と素直に
 感動できるようになったこと

■人に対して
「思いやりを持って接したい」
 感じられる心を取り戻せたこと

■自分の望む通りの未来にならなくても
「何かこれも意味があるのかもしれない」
「神様がもっと良い未来を
 プレゼントしようと

 してるのかもしれない」
 と良い考え方に転換しやすくなったこと

「私はひとりぼっちで
 孤独で寂しい人だ…」
 と夜や夕方にあまり虚しさを
 感じなくなったこと

■自分の力では
 どうしようもできないものを前にした時
 ただストレスを溜めるのではなく
『祈り』という【行動】
 することによって
 気持ちの整理がしやすくなったこと

コーピングの一つとして『祈り』を手に入れたこと
(お金もかからないし、いつでもどこでもできるし。この前包丁で指切ったショックで低血圧になった時、お祈りりしたら血圧が早く戻ってきて、祈りは素晴らしいコーピングだなと思った)

■類友ではなく、
 いろんな分野の友達ができたこと
 その結果いろんな分野のことを
 知れるようになったこと
(私は医従者だけれど、OLの友達も教師の友達も美容系の友達もいるし、一緒にドロケイに誘ってくれる高校生の友達もいるし、一緒にセミナーやスパに行ってくれるお姉さんな友達もいる)

…上げていくとキリがないので
一旦ここまで笑

Q8. 信者になって 苦しかったことは?

私の周りには
社会的にも人格的にも信仰的にも
優秀でキラキラした人たちが多かったので
「私も周りと同じようにならなくちゃ」
と思ってしまい
優秀でキラキラしている自分を演じ
背伸びしている頃は苦しかったです

でもそれは
「信者になったから」
苦しかったのではなく
【私個人の考え方に問題があったから】
苦しかったのでした。

私に元々あった
『みんなと同じように
 ならないといけない』
という考え方があったせいで
学校でも仕事でも
友人関係でも「信者になっても」
苦しくなっていたのだと
今は分かります 苦笑

最近は
「背伸びしても神様にはバレバレだし
 私は神様じゃなくてただの人間だから
 不完全で優秀じゃないところも

 あって当然!」
「だから自分の足りないところを
 『一緒にやってください!』

 ってお願いするために
 神様がいるわけなんだし」

思えるようになり

むしろ自由で足りないところもある
等身大で生きるのが楽な
自分で居続けたいなと
今は思っています*

Q9. 献金とかある?

あります。
でも義務ではありません。

私は一年近く献金を払ってませんが
一切催促が来ず
逆に申し訳なく感じています。
(それなら払えよ←)

Q10. アブナイ宗教なの?

検証した記事があるので、
ぜひそちらをご覧ください。

Q11. 信者以外の友人はいる?

います。
新社会人の頃の職場は
同世代の同期や後輩たちが多かったので
よくご飯に行ったり
一緒に遊びに行ったりしてました。
(誕生日会からお疲れ様会まで…。年度末には勤務年数と中身が伴ってないことを憂うための「最後の○年目ご飯会」とかもしてました笑)

転職してからも続けてやりとりをしていて
泊まりに来る予定を立てたり
一緒にご飯を食べたり
仲良くさせてもらっています😌

Q12. 信者になっても 自分個人の意思は持ててる?

少なくとも
信仰を持つ時よりは持てている
思います。

信仰を持つ前は
生きることへの気力が乏しかったので
「選挙にも関心が湧かない…」
「社会に対しても興味が湧かない…」
「将来への希望も見出せない…」

そんな私でした。

信仰を持った今は
「神様の愛する人々であり世界なのだから
きちんと自分で考えて向き合わなくては」

と思えるようになり、
行動できる気力を得られるように
なったので

選挙は期日前投票をしてでも必ず行くし
社会問題への取り組みがしたくて
病院助産師からNPO職員への転職をし
必要な資格取得や研修参加も
できる範囲でしています。

Q13. 信者になったら 人生 All Happy!になる?

「信仰を持ったから
 辛いことも不幸なことも
 神様の力で全てがなくなる!」

「一生良いことしか起こらない!」
もいうことは全くなく

信仰があってもなくても
正直あまり変わってません。

でも
御言葉を学ぶことによって
私の考え方が 前よりも
良い方向に捉える思考になったおかげで
「この出来事にも意味があるんだろうな」
「未来では

『この出来事があって良かった』と
 考えられるようになっているのかもな」

と考えられるようになった結果

生きるのが前よりも
前向きで幸せになったように思います。
(勿論そう考えられない時も多々あります笑)

Q14. 縛られてる感じはある?

信仰を持ち始めた頃は
縛られてる感がありました

でもそれは
「信者になったから」縛られたのではなく
【私個人の考え方に問題があったから】
縛られていたことが原因でした。

私に元々あった
『納得できなくても
 無理矢理従わないといけない』

という考え方があったせいで
学校でも仕事でも
友人関係でも「信者になっても」
無理矢理言われたことに従って
縛られていたように感じていたんですね。

摂理の御言葉に
『無理矢理にするな』
『確認しなさい』

というものがあります。

今は
「納得できないことは
 無理矢理やるのではなく
 まずは神様に
『納得できません。

 何故そうしないと
 いけないんですか?』
 と尋ねて確認してみよう」

と思えるようになり

無理矢理信仰をするのではなく
自分自身が納得した上
やりたくて信仰をするようにしています😌

無理矢理なことは
続かないし楽しくないですから 苦笑

Q15. 鄭明析(チョンミョンソク)氏って どんな人?

とても純朴
神様イエス様のことが大好き
素朴なタンポポのような人です。

韓国の山奥の
とても貧しい家庭に生まれ育ちました。

どもりがあってうまく話せない
自分の容姿にも自信がない
生きることに希望を見出せなくて
その彼の心を支えたのが
聖書に書かれたイエス様の姿でした。

人々に愛で接する
イエス様の姿に感動して憧れた彼は、
「イエス様を誰よりも
 愛する人になりたい」
という気持ちが次第に芽生え…

気が狂った人に対して
「イエス様ならこうするはずだ」と言って
家に連れ帰って、体を洗ってあげ、
自分にとっても足りない
わずかな食事お金を全て与えたり

ベトナム戦争に参戦した時には
神様の「愛しなさい」という
御言葉を守って
敵を殺さず捕虜にばかりするので
上官に怒られたり
(その上官は戦後、彼の姿を題材にした「ベトナムの戦場で出会った神様の人」という作品を書いています)

両親を亡くした孤児の少年
「ベトナム戦争の戦友の弟なんだ」
と言って
実家に連れ帰って、面倒を見てあげたり…

そのような姿を
彼が信仰を持ち始めた10代の頃から
70代となった今に至るまで
変わらず貫いて生きている人です。