私は幼い時から
「神様はいない」
と思っていました
「神様がいるなら
なんで私を助けてくれないの」
「苦しくて理不尽な人生を
与え続けるの」
「結局神様は私に
何にもしてくれないじゃないか」
と考えていたからです
なので
御言葉で
「神様は存在する」と聞いても
すぐには信じられませんでした
………
そんな時
ある人からこんな質問をされました
「リリーちゃんは
神様のために
何かをしたことはある?」
…質問の内容にびっくりしながらも
『いるかどうか分からない存在のために
何かできる方がおかしくないか…?』
と正直に思うのと同時に
『確かに…』
『私 神様に
ああしてくれこうしてくれって
お願いしたことはあったけど…』
『逆に
神様のしてほしいことを
してあげたことって
無かったな…』
『むしろそんなこと
考えたことなかった…』
とも思いました
その後の話を聞いて
私はギョッとすると同時に
なんだか恥ずかしくなりました…
リリーちゃんにも
お友達がいるよね?
いますけど…
そのお友達に
初対面の段階で
『お金ちょうだい!』
ってリリーちゃんは
言ったことはある?
いや…それはちょっと
失礼すぎて言えないですね…
そうだよねぇ
それじゃ
お友達と仲良くなった後で
お友達が困っていることを
リリーちゃんが
助けてあげたとします!
は はい…
その時にお友達が
「ありがとう~
これお礼にあげる!」
ってちょっとしたお菓子とかを
くれたりすることってないかな?
それはありますね…
(この前も授業のノート
貸したらお菓子くれたわ…)
そうだよねぇ
神様もそれと同じで
自分が神様に
接した通りに
自分にも接してくれるんだよ
………
「…それってつまり…
初対面の人に
『お金ちょうだい!』
『なんでお金くれないの⁉』
『やっぱり友達なんていないんだ!』
『だってお金くれないんだもん!』
って接するように
神様にも接していた
ってことか…?」
そう思ったら
とっても恥ずかしかったです
「…そうかぁ」
「そりゃあ神様も
そんな風に接してくる人に
応えたいとは思わないよなぁ」
「神様が応えられないなら
そりゃ神様がいないって思えて
当たり前なわけだ…」
「でも
神様が喜ぶことって何だろう?
神様がしてほしいことって
そもそも何なんだ…?」
「あぁ だから
それを知るために
聖書から御言葉を
学んでるってことかぁ」
……
私はそう考えるようになり
前よりもほんの少しだけ
『神様はいるのかもしれない』と
思えるようになり
『御言葉をちゃんと学んでから
神様がいるかどうか
判断をしよう』と
思うようになりました
…そうして御言葉を
学び続けていき…
今では
「神様…
今 私が転職を
するべきか分かりません…
転職をするべきなら
虹を見せてくれませんか…?」
とお祈りすれば
実際に虹を見せて
後押しをしてくれたり…
「今日は神様のために
賛美を捧げますよ~!!!」
「賛美を捧げた後に
手持ち花火もやりまっせ~!!!」
と 童心にかえった気持ちで
賛美しながら踊りまくり
手持ち花火に手を伸ばした瞬間…
でっかい打ち上げ花火が
バンバン打ち上がり始めたり…
(この経緯は本当に笑った…wwww
神様の
「私が花火を上げてあげよう~」という
声まで聞こえてきそうだったww)
もちろん毎回100%
神様からの応えを
受けられるわけではないですが
この神様とのやりとりが
私にはとても面白く
楽しいんですね…
まさにこの聖句の通りだと
私は思いました
「神様なんかいない」
そう思える時には
まずは私達から
神様を知ってみようと
歩み寄れたら良いなぁ…
と思います
最後まで読んでくださって
ありがとうございました*
読んでくださった皆さんのそばに
神様の愛が感じられることを
願っています*