本当はこの話は
あまり読んでほしくない
なぜなら
「読んでほしくない」と思える程
私の本音であり
根本にあった問題を
赤裸々に書けたからだと思う
だから
読んでほしくはないけれど
ここに残す意味は
あるんじゃないかな
とも思う
………
私は
自分の弱音を話したら
『幻滅した…』
『心配だわ…』
『頼りない人ね…』
『仕事を任せるのが不安』
『こんな弱い人だったなんて』
…きっと
そう思われて
周りから見放される…
弱音なんて話しても
自分への評価が下がるだけで
何のメリットもない
そう考えていた
だから私は
30年近く
ずっと『強がって』
生きてきた
自分の中にある
「不安です」
「緊張してます」
「分かりません」
「失敗しないか心配で」
「できるか自信が無いです」
「これってどうしたらいいんですか…?」
そういう弱音を
見えないように蓋をして
「大丈夫です!やれます!」
「期待に応えたいんです!」
「挑戦させてください!」
「私の成長のためにやってみたいんです!」
「今までもやってこられましたから!」
そうやって
無理矢理弱い本音を
別の『耳障りの良さそうな感情』に
置き換えるのが当たり前だった
当然だったし
そうする他に
この弱音を
どうしたら良いのかが
分からなかった
だから
誰にも弱音を
言えなかった
むしろ
自分でも
自分の弱音に
気づかなかった
気づけなかった
だって
自分の弱さに
気づいてしまったら
決して人には見せられない程
恥ずかしくて
情けなくなって
みじめで何もできない
弱々しい 酷い自分が
丸裸にされてしまって
そんな自分に
自分自身が耐えられなくなって
私の心が『ダメ』になってしまう
と思ったから
だから
弱音を隠した
…そうしたら
…生きるのが
苦しくなった
自分の弱さを隠して
「やれます!」
「できます!」
「生きてて楽しい!」
「最高です!」と
いつも背伸びをする日々
常に高いパフォーマンスをしないと
周りからの評価が失われてしまう
けれども
心の奥底にある本当の私の姿は
そんなに出来た人ではないのに…
あぁそうだ
弱い自分を隠さなくちゃ
もっと
頑張らなくちゃ
輝いていなくちゃ
幸せに希望に溢れていなくちゃ
私って生きてて
本当に幸せだ…!!!
弱音を
義務感で変換した
「耳障りの良さそうな感情」がもはや
『本音』かと錯覚するぐらい
私は
自分の弱い本音に
大嘘をついて
生きて続けてしまっていた
…
…そんな時
自分の弱さを
本音で話している人に出会った
取り乱すことなく
堂々と
「緊張する」
「人からの評価が怖い」
「どう思われてるのか
不安に思う」
「ずっとお母さんに
愛されたかった」と
淡々と弱音を言葉にしている
姿を見て
何故か私は
幻滅することはなく
「弱さが話せる人って
なんて勇気があって
カッコよくて
聞いてて力づけられるんだろう」
ととても思った
そして
その周りの人々が
変わらずにその人を慕っている姿を見て
「弱音を話したとしても
周りから見放されないんだな」
と思った
…
同じぐらいの時期に
私が弱さを隠して
無理して背伸びしていることに
ある人が気づき始めた
私が「やれます!できます!」と言いつつも
苦しみながらギリギリで
やっている姿を見て
「なんでそんなに無理するの?」
「できない時は
できないって断っていいんだよ?」と言われた
初めて他の人に
自分の弱さを
見つけられてしまった瞬間だった
『どうしよう』
『きっと幻滅された』
『できない人だと
失望された』
『きっとこの人から
見放される』
そう思ったけれど
その人は
何も変わらなかった
何も変わらずに
私に接してくれていた
…弱さを知られても…
私は見放されなかった…
…
そこから少しずつ
自分の弱音に
気づき始められるようになった
気を抜くと 相変わらず
弱音をスルーしがちだけど
『不安だなぁ』
『心配だなぁ』
『よく分からないなぁ』
そうやって弱音を
ちゃんと感じた上で
「不安だけどやってみます」
「心配だから相談させてください」
「ごめんなさい
よく分からないところがあって…
もう一回教えてもらえたりしますか?」
そうやって
自分にも他人にも
弱音を少しずつ
言えるようになってきた
弱音を話せるようになったから
「頑張らなくちゃ」
「良いところを見せなくちゃ」と
隠すために気を張らなくなり
背伸びをしなくなった
人と接している時の自分が
自宅で一人で過ごしている時の自分と
ほとんど同じになっていった
…そうしたら
……生きるのが
楽になった……
昔のように
キラキラしてないし
背伸びもできてないけれど
私は
取り繕って
キラキラした自分よりも
弱くて泥臭くて人間らしい
そのまんまの自分で居られることが
とても心地良くなっていった
…あぁそうだ
人間というのは
元々完璧な存在ではないんだから
「私は一人で何でもできます!!!」と
完璧になろうと頑張りすぎる方が
不自然な生き方だったんだなぁ…
今はそう思えるようになった
…
社会を生きていると
「〇〇大学出身で」
「大企業に勤めてて」
「プロジェクトリーダーに抜擢されて」…
そうした
弱さと対極にある
『強さ』で
自分の価値をアピールする場面が
多い気がする
私も
『強さ』=人の価値
だと思っていたから
『強さ』を見せたくてたまらず
弱さを見せるのが嫌だった
その結果
弱音を隠すために
「私は強い」
「私は自分一人で
何でもできるはずだ」と
背伸びしながら
自分を鼓舞して
言い聞かせ続けた結果
「私は周りにも気を遣える
堂々とした強い人だ」
と思い込んで自信満々に振舞う
『滑稽な傲慢さ』まで
持ってしまっていた
…本当は
周りを気遣うどころか
心配性で 保身のために
周りの評価ばかりを気にし
弱音の一つも正直に言えない
小心者だったくせに…
もうあの
背伸びをし続けて
自分を偽り
余裕が無く 滑稽で
傲慢な自分には
戻りたくない
だから
今の私は
弱さを隠して
「私は一人で何でもできる!」と
薄っぺらい強さを誇示する
傲慢な自分よりも
弱さを見せて
泥臭くて人間らしい
そのまんまの自分の方が
生きてて幸せだなぁ
弱さも強さも
等身大で分かった上で
正直に生きている人が
本当にかっこいいなぁ
と思っている
そうして
謙虚に生き続けるためにも
弱音を隠して
滑稽で傲慢だった自分の姿を
忘れないようにしていたいなぁ
とも思っている