「優しいよね」
「真面目だよね」
そう言われて
嬉しいと感じる人もいれば
特に何も感じない人もいると思います
私の場合は
嬉しいという感情は
あまり無く…
どちらかというと
「ホッとする」
「安心する」
という感情がありました
「優しい人でいなければ」と思っていた
私は小さい頃から
「優しいね」と
よく言われて育ってきました
クラスメートが
筆箱を忘れても大丈夫なように
机の中に“予備の筆箱”を入れていたり
看護学生時代は
校内演習時に必要なヘアピンを
誰かが忘れても良いように
いつも余分に持ち歩いたり…
もちろん
自分が困らないため
という理由もありましたが
振り返ると
「誰かが困る前に私が助けなきゃ」
という気持ちが
とても強かったです
そして周りから
「優しいね」
「真面目だね」
と言われるたび
私は無意識に
「私はそういう人で
居なければいけない」
と思うようになっていきました
本当はダラダラしたい日もあるし
イライラすることもある
面倒くさいと思うことだってある…
でも
そういう自分を
見せてはいけない
気がしていました
真面目な“キャラクター”を守ることに必死だった
学生時代は
児童会や生徒会をやるような
キャラクターだったので
「真面目な子」
「優等生」
「しっかりしている子」
そんなポジションを守ることに
私は必死だったように思います
でも
中学校に入ると
徐々に勉強の内容が
難しくなっていき…
…実際の私は
200人の生徒中
60〜80位くらいを
行ったり来たりしていましたが
周りからは
「リリーちゃんは
テストの順位はいつも
10位以内とかだよね~」
と言われることが
苦しかったです
…もし
10位以内ではないことが
バレてしまったら…
「生徒会長なのに」
「真面目なのに」
「優秀じゃないなんて」
そう思われるに
違いない…
…せめて
授業態度だけは死守しようと思い
授業中に寝ることは
一切自分に許せませんでした
「真面目なリリーちゃん」を
壊してしまうことが怖くて
“本当の自分”というより
“期待される自分”を
演じ続けていました
褒め言葉が 嬉しくなくなっていった
そんなふうに過ごしているうちに
「優しいね」「真面目だね」
と言われても
嬉しく感じなくなっていきました
むしろ
「今日もうまく演じられたな」
そんな感覚でした
だって私は
周りからそう見えるように
見栄を張っていたから
だから褒められても
「いや それはそうでしょ」
「だってそう見えるように
行動してるんだから」
という
どこか冷めた気持ちになっていきました
…今思うと
かなりひねくれていますね…苦笑
それくらい私は
自分自身に
「ちゃんとしていなきゃいけない」を
強いていました
“ちゃんとしてない私”を見せられるようになってきた
でも最近は少しずつ
自分の“ちゃんとしてない部分”を
人に見せられるように
なってきました
「真面目だよね」と言われたら
「いやいや私の朝ごはん
毎朝ずっと
卵かけご飯ですよ(笑)」
と返してみたり
「優しいよね」と言われた時も
「いやいや1週間以内に
“なんだこいつ”って
思った人いましたよ(笑)」
とあえて話してみたり…
そうしたら
不思議と気持ちが
楽になっていきました
相手の方も
「リリーさんって
ミスしなさそうと思ってた」
「そう言われると、逆に安心する」
と返してくれたりもして…
“ちゃんとしてない自分”を見せても
人間関係って壊れないんだなと
少しずつ思えるようになりました
褒め言葉を、やっと素直に受け取れた
最近
ある人がこんなふうに言ってくれました
「リリーさんの
自分の泥臭いところも
正直に話してくれるところ
良いですよね!」
…その時
初めて
褒め言葉を素直に
「嬉しい」と思えました
今までは
「演じた結果」を
褒められている気がしていました
でもその時は
“取り繕っていない部分”を
見てくれている感じがして
「あぁ
褒められて嬉しいって
こういう感覚なんだな…」
と
初めて思えた気がしました
「背伸びし続けること」に疲れている人へ
周りから
「優しいね」
「しっかりしてるね」
「真面目だね」
と言われるたびに
少し苦しくなる人も
いるかもしれません
もしかしたらそれは、
“そうでいなきゃいけない”と
自分自身に強いてきた時間が
長かったからかもしれません
もちろん
優しい自分も
真面目な自分も
本当の自分の一部だと思います
「でも
『そうじゃない自分』がいてもいいし
『疲れてる自分』の日があってもいいし
『面倒くさいと思っている自分』
の日があってもいいんだなぁ…」と
最近の私は
思えるようになってきました
もし
「褒められても嬉しくない…」
「むしろ苦しい…」
と感じている方がいたら
「自分だけじゃなかったんだなぁ」
と思えるきっかけに
この記事がなっていたら嬉しいです*

